隣の芝生は青い 青く見えた芝生には今よりも良い環境があるのでは? そんなブログ
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ども、やぽんすかです。
突然ですが、下記記事をご覧下さい。
中田英寿 現在「https://www.jiji.com/jc/v4?id=202101nakatahidetoshi0001」
元日本代表のサッカー選手の中田英寿氏が業界を引退したその後の活動が語られています。
上記記事の既読を想定し、今回は自身が捉える「知る」ことの重要性を書いていきたいと思います。
ですがその前に、2つだけ質問に答えて下さい。
読者に質問です。
①:趣味はなんですか?
趣味がある人に質問です。
②:それを何処で知りましたか?
質問は以上です。
趣味が好きか否か 問いません。
どれくらい継続しているのか 問いません。
本質は、好きな事、好きな人、好きな物など
興味、好意が生まれた始まりに有ります
多くの物事は知る事から始まります。
赤子は母胎の中で周囲の音を潜在的に聴き、知っているからこそ言葉を話せる様になっていきます。
例えば、
サッカーが好きな少年は、外部からサッカーに関する何かしらの情報を五感を通して知る事で、サッカーが好きになる根本的な部分に到達出来ると考えます。
読書が好きな人も同様に、外部の情報を知る事で好きに至ると考えます。
この様に、多くの物事は知るという行為を経てその次に以降して行く事が出来ます。
知る、という事には全て五感と因果関係があると考えていますが、それは又別の記事にて記していきたいと思います。因みに筆者は「香い(り)」を司る感覚に興味があります
中田氏の記事では、「サッカー一筋の自身に、サッカー以外に何が出来るのか?
どう言った事に興味があるのかをまず知る事が大事。気になる事は触れて、感じて、理解を深めて、その魅力を伝えて行く事」という様な内容です。
筆者はこの記事を読み、自身と重なる部分を感じ、今回取り扱う事に決めました。
社会人1年目。会社に勤め、ヒステリックな上司の元。やりたいことが分からず、本当にしたいが知りたい。その前に、自分の原点を知る旅がしたい!
筆者の生まれ故郷イギリス。そこに行くための資金集めに始めたのが、農業でした。
全く知らない環境で、知らない作業をする。外国人研修生とのシェアハウス。
筆者は半年間従事しましたが、残念ながら魅力を伝えられる程惹かれる事はありませんでした。
ですが、言葉では知っていても、実際に作業をしなければ本質には到達できません。
そして実体験無くして説得力も生まれません。
他にも幾つかの経験をしていますが、筆者が今回伝えたい事は伝える楽しさです!
自身の実体験を通して人と共通の話題で繋がった時、喜びは何にもまして膨れ上がるのです。
そしてそれは自身の身が持つ無二の財産となります。
皆さんの中にも、変わった経験をして面白かった事や盛り上がった事がありましたら是非コメントを下さい!
起承転結とはいきませんでしたが、今回はこの辺で失礼します。では!
先日、転職サイトの求人紹介を見てイライラしました。理由は専門卒の自分に対し大卒必須の案件が数多く紹介され続けるからです。
転職は継続が肝心ですが、案件紹介はまるで皮肉です。モチベーションが落ちます。
そこで、いったい何故大卒必須なのか?気になり調べてみました。
そも、新卒から3年目までは国からの助成金が支給されるため、日本社会において新卒採用は旨味しか有りません。
新卒であれば、大体採用されると言うこともあります。
ですが、新卒でも採用され辛い卒業資格が有ります。
それが『専門卒』です。
大卒よりも専門性が有りますが、同時に入り口から狭き門のため、能力がピンキリでも応用の幅が利く大卒の方が、ハズレを引きにくいのです。
企業側からすると高いコストを掛けてまでハズレを引きたくないですからね。
つまり
大卒と専門卒では、
『勉強せず専門に行き分岐の無い列車に乗るのか』
『勉強して大学に行き分岐の有る列車に乗るのか』
と言う違いが生まれてくる訳です。
ここまでが、自身の経験を振り返っての反省になります。
社会人4年目で振り返って漸く気が付いた事なので、大学進学までにここまでの事に気付く学生は凄いと思います。
気付かせてあげる人がいたのかも知れません。どちらにしても、世の中を良く見ていると思います。
ここからは後悔している事です。
自分は専門卒ですが、世の中を知らないので知る為に色々なところに行って働く事にしました。
そんな中で、人を好きになりました。
そして、一緒に居たい一心で紆余曲折を経て、一緒に暮らしています。
と同時に、世の中を知る事が実感出来なくなりました。そして、自身の学歴の無さを感じ、二つの不安が脳内を騒ぎ立てます。
幸い、国内問わず旅行に行く予定を立てている為、完全に世の中を知る事ができなくなったわけでは有りません。
学歴の無さも、気にせず生きていく事は可能だと思います。
ですが、筆者にとって生を実感できる時は、困窮した生活の中にあります。
ギリギリの生活。
なんとか生きてる。
まだ死んでない。
奨学金の返済に追われ、食費は1日100円以下。そんな時期が数ヶ月続いたこともあります。
次第に身体が衰弱していく様を感じました。
極限の環境の中、お金がなく、食べ物もない。水で凌ぐ日。
たまに人から恵んでもらった食べ物も、嬉しい反面嫌気を感じました。
側から見れば、矮小、乞食の様な醜さを晒しているのではないかと。
そんな風に見える様に演じているのではないか?自身を疑い嫌気が指してきます。
それでも生きているとは実感しました。明らかに歪んでいると思います。
まともではないのだろうと思います。
そんな自分に後悔しています。
そして、それでもそんな自分に手を差し伸べてくれた人を大切にしたいと思っています。
後悔と感謝が同時に生きています。
自分の中で、モノクロな泥とオレンジ色の暖かい光が入り混じっています。
自身の中で何かが二つに割れない様にしたいです。どちらも自分で、一つ。
今回はこの辺で十分だと思うので、
次回以降は普通の話題で行こうと思います。
では!